「よいお年を!」の一言で気づいた価値
大晦日を迎え、令和初の年越しを迎える日がやってきました。激動とも言われる時代に生き、今年1年はどうだったでしょうか。
1年たった今日だからこそ、あんなこと、こんなことに思いを馳せ、後悔することもあるかと想います。これらをグッとすべて受け止めて、次の年につなげていきたいものです。
さて、そんな振り返りと、一年の汚れを落とすべく、大掃除にとりかかり、なんとか忙しさを抜けて、ちょっと近所に買い物に言った時、お会計のレジで一言言われました。
「どうぞ良いお年をお迎えください!」
たかが、季節の挨拶かもしれませんが、いつもはルーチンで、マニュアル化された店員が、一言言うだけで後も印象が変わるのか、と思うと同時に、やっぱり接客は「人」である存在価値が改めてあるなと感じた次第です。
これからの時代、AI(人工知能)の発展で、あらゆるノウハウや知恵はデータ化され、ロボットや機械によって再現可能な時代がやってきて、人はやがていらなくなると言われています。効率だけを考える世界では、人間という非効率な存在は無駄と相対的には見えることでしょう。
でも、この世の中は「人」が生きているのです。非効率が生命ピラミッドの頂点に君臨し、身勝手とも言える自然や資源を好き放題使い、生きているのです。これからは自制し、持続可能な地球との付き合いかたを考えなければならないのですが、それでもやはり、「人」がいるからこそ、この地球に生きる人間の価値が存在していると思うのです。
しかも、AIにできることは、「過去」経験したことであり、これから起こることや、コレまでと違う発想は苦手です。人間がAIと同じフィールドで戦うのではなく、人間にしかできないこと、人間にしてほしいことに徹することが、これからの変革の世の中でも、「生きる意味」を見いだせるものだと想います。
「人」に期待し、「人」のために生きよう
働き方改革や、人手不足、高齢化によって、「人」から機械やロボット、プログラムによって代替する仕事は加速度的に増えていくことでしょう。でも、それによって
「コレまでの仕事が奪われる=人間の価値はない」
と思うのは早計です。ネガティブな報道や噂ばかりが広がっていますが、求められていることは「人にしかできないことに集中する」ということ。
例えば、モノを探すことや管理することは、作業の前提や準備にあたるもので、生産的ではありません。こういったことは、ロボットやプログラムに任せて、必要なものを取り出すことは任せて、人は「考える」ことや「発想する」こと、さらには「感じること」「共感すること」に徹すればよいのです。
いわば、すべてのはたらくヒトが、秘書や部下をもちながら仕事をするようなもの。そう考えたら、ワクワクする内容ばかりに徹することができ、働き方改革は「人を奪う」のではなく、「人を輝かせる」ためのきっかけにすることができるのです。
「人」の価値は、「心」です。喜怒哀楽、そしてそれらを感じること。この繰り返しの中で、人と人の間に「関係」が生まれ、「社会」ができあがるのです。
AIやロボットの導入については、かなりの誤解が労働者の中におおく存在していると思われ、変化に逆行し、現状の労働者に多くの負担や時間を強いる働き方は、今すぐにでも改めるべきことだと想います。
本当は、多くの労働者が正しい知識と情報を入手し、もっと自分の人生のため、家族のため、趣味のためなど、自分自身の人生を生きるために時間を使ってほしいと思うところですが、どうもなかなか、現状から抜け出せない人がおおく、変化した人の様子を見てから、社会はゆっくりとしか変われないのかなと思うと、ちょっと悲しい気持ちになるところ・・・。
2020年は、変化に逆らうのではなく、それを受け入れ、過去の改めるところを正すことをすれば、時代の流れに乗ることは、それほど難しいことではありません。
どうか、きっと、この文章を最後まで読んでくれたあなたにも、良い年がやってきますように。
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