第三次世界大戦は始まるのか?!

中東情勢は緊迫している

「戦争」の損失を世界のリーダーは理解している

 中東情勢が緊迫してきており、Twitterのキーワードランキングでも#第三次世界大戦や、#WWⅢが話題にあがるなど、戦争への突入を心配する多くの声が聞こえてきます。

 米国とイランが衝突し、お互いが攻撃し合うようになることで、近隣諸国や連合国の参戦、さらには、中東の大事なタンカーの航路が閉鎖、封鎖されてしまえば、世界中の原油価格や輸出入にも影響を与えることになる。対岸の火事では決してなく、世界のすべての人々が関わりと関心をもつ事柄となっています。

 ここでは、どっちの国が悪いとか、戦争がはじまるのか否かということは、BBCやAFPなどグローバルなニュース配信に任せて、「戦争」のメリット・デメリットと言う観点で、今後どのようなことが起こりうるか、を考えてみたいと思います。

戦争は多額の費用がかかって不経済

 「政治」において、最も大切なことは、「戦争を起こさないこと」にほかなりません。国の政権を担う仕事も大切なのは「外交」であり、「経済」であり、これらを通じて諸外国との関係をよくし、円滑で時に有利になるように交渉を運ぶのが「国際関係」というものです。

 「軍事」と言う側面もありますが、核兵器が世界中に拡散している現在においては、どこかの国が1発でも発射してしまえば、抑止と反撃のため同じように核兵器を打ち返すということになるため、「保有すること=脅威」として、戦争を始めさせない抑止力になっている、というのが世界のリーダーが考えるスタンスです。

戦争をしないように、各国の相互理解は重要

 さて、そんなわけですから、「核兵器が発射」されてしまえば、世界は終わってしまいますし、長引く戦争をするのであれば、多額の戦費がかかり、経済が疲弊する。軍需産業にとって「戦争が儲かる」といって、戦争を仕掛けているという意見もありますが、それ以上にグローバルに広がった「経済が滞る」ことのほうが、世界の富裕層にとっては大打撃です。なぜなら、戦争を起こす以上に「儲かる」からなわけで、これが「経済合理性」として「戦争をすることが得か否か」という判断基準となっているのです。

先日、朝鮮半島情勢が緊迫し、米朝の関係が緊張しかけたときも、中国が「交渉のテーブルにつくように」と諭したのも、いまや、世界の主要各国は、経済で密接に結びついており、これらを停滞させることは、経済的損失が大きいと理解しているのです。

局地的な紛争やテロは今後もずっと起こりうる

 大規模な戦争は、選択肢として取りづらい世の中になっていますから、結果として局地的な紛争や一時的な攻撃、あるいはテロの可能性のほうがはるかに発生する可能性が高いといえるでしょう。

 いまや、「多くの人が集まる場所」はテロの格好のターゲットであり、空港や鉄道といった主要交通機関やターミナル、さらには大規模なイベントや劇場・ホール・学校などは随時ターゲットとされ、実行はされなくとも「テロ対象」としてリスト化されているのです。

 2020年は東京オリンピックの年。日本は安全だという神話があることは、テロ組織にとっては格好の餌食。警戒せずに多くの人が集ってくれるほど、警備の隙間ができ、テロ実行として狙いやすくなるのです。

 もしかしたら、オリンピック開催にあわせてテロが計画されていることが発表されたり、兆候が出ることも可能性としてあり、それが緊迫した情勢となれば、「開会式」や「競技」を「無観客」で実施することも、安全策として考えられうるのです。

日本で大規模なテロが起きないことを願うばかり・・・

 とすれば、新国立競技場のスタジアムの座席がまだら模様の様子になっているのも、空席で実施してもあたかも客が存在しているかのように錯視できるデザインになっていますし、マラソン競技が札幌開催となりましたが、大規模に広域で人が集まる競技だけに、テロのターゲットにされることを恐れ、開催地を動かしたかも?・・・なんて勘ぐったりしますが、あくまで想像の話。

 真実かどうかはわかりませんが、「どこでも起こりうる」という危機感と意識が、身の安全を守るために重要といえるでしょう。

試験では「国際社会の再定義」をネタにせよ

 「国際社会」や「核兵器問題」などが、小論文のテーマに出されることもあるでしょう。従来の「国家」という単位で、国連がその全体的な協議の場として関係性を持っていた時代では、「国と国」という考え方で、国家の「際(きわ)」を定義」してもよかったことでしょう。

 しかし、国連がもはや紛争やテロを抑止には有効でなく、ヨーロッパはEU(欧州連合)を巡って加入・脱退の大荒れの様子。アジアではTPP(環太平洋パートナーシップ協定)など、広域連携での自由貿易を目指す新たな枠組みが広がったり、果たして「国家」とはなんたるか、が問われる時代となってきました。

経済は国を超えてつながっている

 もちろん、1つの運営母体としての「国」という組織単位は存在していますが、これからの世界中の諸問題を考えたとき、1国だけで問題も解決もできる状況にはないのが今の情勢。

 環境問題も大気汚染も国を超えて影響しています。経済活動だって、生産、製造、販売の流れの中、密接に関係性を持っています。

 世界が経済でつながり、ネットワークでつながり、コンテンツとしてSNSなどを通じて考え方でつながり、AIで翻訳が容易になり言語的にもつながるような世界が求心していく流れの中で、私たちはどういうスタンスでいればよいか。

 それは、「個」の時代の到来と言えるでしょう。

 優れた人、求める人、期待される人は、国家を超えて人が繋がり、集まっていく。共感や共創も国や出生を超えて可能になる。

 国の枠組みが曖昧になってきたからこそ、その際を求めて紛争やテロが起こるのであり、それを改めて定義するのは、世界中の一人ひとりの人間でしかできない。自分自身が世界とどうつながるか、その命題が突きつけられているのが、現代なのだと思うのです。

 そんな今だからこそ、サミュエル・ハンチントンの文明の衝突は、まさに今の混沌とした時代を予言したかのような内容で、名著に改めて学ばされると思うのです。

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